電柱の足元に咲く小さな花の歴史を君はまだ知らない

私も知らない。 日々思うことや思い付き短編小説風コラム風な記事を不定期で投稿します。 基本的にすごくしょうもない内容です。 知的要素ゼロがお好きな方向けです。

『ちゃんとする』という単語に関する考察

「ちゃんとしなさい!」
慌ただしい空気が漂う通勤ラッシュの駅のホームで、アナウンスをかき消すほどの声が響いた。女性特有の甲高い金切り声だ。
声の方に目をやると、まだ幼稚園か小学生かほどの小さな坊やがぼーっと女性を見上げていた。

 

周囲のスーツを着たサラリーマン達の中には、怪訝な顔をして彼女らを見る者もいた。
これは恐らくの予想だが、彼がチョロチョロと動き回るなどして、母親と思われる女性に怒られたのだろう。

 

彼くらいの歳となると、多くの子は「何を言われて、どういう意味か」が理解出来、「自分はどうすべきか」を考えることが出来る。

もし理解出来ないのであれば、まだ自分が知らない単語が出てきた時であろう。

 

彼はきょとんとしていた。
(一体ママは何をそんなに怒っているのだろう。カモミールティーでも持ってくればよかったな。)なんて思っていたかもしれないし、あるいはその後実際に、彼が肩からぶら下げていた【二足歩行のパン】が描かれた水筒から、温かいカモミールティーを蓋に移し、母親に渡していたのかもしれない。

 

彼が何をしでかしたのかは知る由もないが、怒られているにも関わらず、きょとんとしていた理由は明確だ。
「指摘が不明確」だからだ。

 

我々も小さな頃、親に「ちゃんとしなさい」と怒られた経験があるだろう。
成人して社会に出てからも上司などから「ちゃんとしろ」などと叱責されたこともあるかもしれない。

 

「ちゃんと」とは一体何者か。

 

単語は少し変わるが、関西圏で主に使われていると言われる「シュッとした」という表現がある。
よく友人同士などで会話をしている時、関西ではない地域から来た友人からこう質問される。
「シュッとしたって、どういうこと?」

そんな時、多くの人はこう答えるのではないだろうか。
「シュッとしたってのは…何かこう...シュッ(手を上から下へ素早く下ろすジェスチャー)とした感じや」と。

 

これは決して方言ではない。
『ニュアンス』である。

 

関西は元より「バーっと行って」や「ブゥワー(って)話しとったら」など独特のニュアンスで表現することが多々あるが、このシュッとしたというのもその一環だろう。

 

ニュアンスというのは非常に面白いもので、伝わる人には伝わるし、伝わらない人には一切伝わらない。ある種の暗号のようなものだ。

 

ニュアンスで会話が成立すると、途端に会話が楽しくなる。

しかしニュアンスが伝わらない場合はいちいち説明じみた会話となり、それぞれで会話の硬度が変化する。

もちろん仕事などニュアンスで会話すると危険なシーンもある。
場面によって切替が出来るとベストだろう。

 

さて、問題の「ちゃんとする」についてだが、これも言わずもがな『ニュアンス』の一種だ。

「ちゃんと」の中には、誰がどんなシーンで使うかによって含まれる中身が異なる。

ある意味、「シュッとした」よりも多様性があると言える。

 

朝の母親が放った「ちゃんとして」には、子供に対して「周りに迷惑になるような行動を慎み、お母さんと手を繋いでおとなしく立っていなさい」という意味が含まれていると仮定する。

歳を重ねるに連れて、場所や人を選び行動を変化させるという技を身につけていくが、成長過程にある子供にとっては、全てが未知の世界だ。

人で溢れかえっていて大好きな電車がたくさんやってくる駅のホームなんて、遊園地と同義語と言っても過言ではないだろう。

テンションは上がり、興奮し、突然小躍りなんて始めても全くおかしくない状況だ。

そこで「ここは駅で、たくさんの人が電車に乗るために待っている。急いでいる人や具合の悪い人など色んな人がいる。だから遊園地のように暴れず騒がず、静かに待つ必要がある」ということを経験を交えて伝えていく必要がある。

(残念ながら、世の中には奇声を上げて騒ぐ若者や大声で突然叫ぶ中年などもいるが、ここではそういった例外は排除して考えよう。)

 

そんな中、突然「ちゃんとしろ」と言われたら、子供はどう反応すべきか?空気を読むなどして「ちゃんと」の中身を理解できるだろうか?

もしそのようなことを可能にする子供がいるとするならば、その子のIQは将来世界を変えるかもしれない。

 

決して母親の発言を咎めるつもりはない。

時間がない。電車に乗らなくてはいけない。子供の安全も考えなくちゃ。周りにも迷惑かけちゃいけない。そうやってパニックになり、思わず「ちゃんとして!!」と叫ぶことだってきっとあるだろう。

怒りたくなくても、つい怒鳴ってしまうことだってきっとある。温かいカモミールティーがいつも側にあるとは限らないのだ。

落ち着いた時にきちんと説明し、理解してもらえればそれで解決だ。(そうもなかなかいかないのがきっと子育てなのだろうが。)

 

「ちゃんとして」問題は、何も親子関係に限った話ではなく、前述のように社会に出てもまとわりつく。

大人になったらニュアンスの中身を全て読み解けるかというと、そういうものでもない。伝わらない言葉はどうやっても伝わらないのだ。

 

「ちゃんとしろ!!」という上司からの一喝。

営業で成績を上げろという意味なのか、単純に服装の乱れを指摘しているのか、独身に対して早く所帯を持てという意味なのか、事務室の整理整頓を指しているのか、自分に優しくしてほしいという表れなのか。

一対一で話をする中であれば、かろうじて「ちゃんと」の中身を拾えるかもしれない。

しかしどう頑張っても「具体的に何を求められているのか」は、ちゃんとの一言では100%は伝わらないのだ。

 

 

「ちゃんと」にまつわる最も恐ろしい話はここからだ。

親子でも学校でも仕事でも、「ちゃんとってどういうこと?」という一言は、暗黙の了解でNGワードだ。

何故なら、多くのケースが『怒っているなどのマイナス状態で発言される単語』だからだ。

 

自分がニュアンス単語を発言した時のことを想像してほしい。

「シュッとってどういうこと?」と聞かれると、きっと自分なりの答えを素直に伝えるだろう。

「ちゃんとってどういうこと?」と聞かれるとどうだろうか?

(え?バカにしてんの?)(ナメてんの?)(もっと言わないとわからないのか?)

こういう印象を持ったりしないだろうか。

 

どう考えてもおかしな質問ではないのだが、「ちゃんとってどういうこと?」「ちゃんとって何?」と聞き返されるそのニュアンスが、(もちろん言い方にもよるだろうが)何故か神経を逆なでする力を秘めているのだ。

 

純真無垢な子供が同じように質問したとして、怒り狂っているバーサーク状態の親は果たしてそのボールをきれいに受け止め、返すことが出来るだろうか。

おおかた「何でそんなこともわかんないの?!」という剛速球の魔球を放ち、子供を恐怖の底に叩きつける結果になるだろう。

 

少しずつ大人になるにつれて事態は深刻化する。

「ちゃんとってどういう意味ですかぁーちゃんと説明してくださいぃー」とワザと神経を逆なでる猛者も登場するし、もう少し成長すると「(意味わからないけどここで聞き返すと怒られそうだしとりあえず)ハイ、スミマセン」と意図が伝わらないまま会話を強制シャットダウンする先行逃げ切りタイプも登場する。

「ご指摘いただいた件、具体的にどうすべきかご教示願いますでしょうか」なんて聞き返せる人はおそらく希少価値が高いだろう。(自分で考えろ!と怒られる可能性も否定できないが。)

 

人とは感情で左右されやすい生き物だ。

その場の勢いでニュアンスで伝えてしまうこともきっと多いだろうし、そのまま受け流すことも多いだろう。

しかしその内容が重要であればあるほど、一度カモミールティーでも飲んで落ち着いてから、じっくり「ちゃんと」の中身を伝えられれば、きっと世界は平和になる。

私はそう願ってやまない。

 

 

【結論】

カモミールティーって優しい響きだよね(ちゃんと飲んだことはない)。