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電柱の足元に咲く小さな花の歴史を君はまだ知らない

私も知らない。 日々思うことや思い付き短編小説風コラム風な記事を不定期で投稿します。 基本的にすごくしょうもない内容です。 知的要素ゼロがお好きな方向けです。

マイペースの定義

私はいわゆる「マイペース」な人間だ。

 

急ぐのは好きではなく、まったりのんびりと、周りに左右されずに行動をしたいと常々思っている。

小学校の頃の給食でも、こちらは苦手なものがあったり腹がいっぱいだというのに、制限時間内に残さず食べきれという強要がとても苦痛だった。

楽しい食事の時間くらい、のんびり好きなように楽しませて頂きたいものである。

 

ところで「マイペース」とは、よく「のんびりした人」に対して使われることが多く、どちらかというと中傷的表現な印象がある。

そもそも「マイペース」の「ペース」とは、どれほどのペースのことを指すのだろう。

 

【自分のペース=マイペース】

であれば、のんびりした人もその人のマイペースだし、当然せっかちな人もその人のマイペースとなる。

 

何故せっかちな人は「マイペース」だと小馬鹿にされないのか。

私の見解によると、せっかちな人はのんびりした人にペースを合わせることはせず、逆にのんびりした人がせっかちな人にペースを合わせざるを得ないという暗黙の了解が、この世に蔓延っているからではなかろうか。

 

自分以外の誰かと何らかの行動を起こす時、相手のペースを無視したスピード(早すぎ・遅すぎ)で動くと、当然相手に迷惑がかかる。

しかしより大きく迷惑をかけるのは、相手よりのんびりしたペースなのか、相手より早すぎるペースなのかなど、一体誰が計れるというのか。

相手のペースが早すぎるだけなのに、「お前はマイペースだな(遅い!)」と指摘されるのは、非常に遺憾で不愉快なものだ。

 

時間は誰にでも平等に与えられているので、急げば急ぐほど時間を有効活用できるのは、至極当然のことだ。

だからといって、何でも急かせばよいってものでもない。

 

食事はゆっくり食べてこそきちんと消化され、体への負担も少ない。

いわゆる早食いの人は体への負担が大きいだけでなく、一緒に食べている相手に「食べ終わりましたけどー」という暗黙のプレッシャーを与えることとなる。

まだ食事が半分も終わっていないと大変だ。

食べ終わった相手は当然することが無く、流暢な会話がスタートする。

食べている側は会話の相手をしながら食事を口に流し込み、口を空にし、言葉を発し…というローテーションを素早く行う作業が発生する。

「いいよいいよ。ゆっくり食べて」なんて絶対建前だ。

本当に目の前でゆっくり食べられたら、きっと(え?いつまで食ってんの)って絶対思うんだ。

 

例えば普通に歩いて十分のところを、競歩に近しいスピードで歩いて五分で着いたところで、結局は切れた息を整うのに五分要すのなら、トータルでは一緒ではないか。

仕事などは別として、目的(食事を食べ終える等)が一緒であれば、のんびりした人でもせっかちな人でも、タイミングこそ違えど行き着くところやモノは同じだ。

それなのに、素早く行動する人ばかり称賛され、ゆったりした人が小馬鹿にされるのには、やはり納得がいかない。

「〇〇くんはもう食べ終わって校庭で遊んでいるよ!」なんてお節介もいいところだ。

誰しも『食事 < 遊び』と思っているなんて思わないでいただきたい。

給食が時間内に食事を終わらせることの大切さをきちんと説く目的であれば、昼休みの1時間をまるまる費やすくらいは大目にみていただきたい。

 

せっかちな人はのんびりした人にペースを合わせるという発想があっても、何らおかしくないハズだ。

何故なら、のんびりした人にとっては早すぎるペースも、この上なく迷惑なものだからだ。

せっかちな人がのんびりな人に「遅ぇ!」と思うのと同じなんだ。

のんびりな人もせっかちな人に「早ぇ!」と思うんだ。

 

足の遅い亀はうさぎの走りについていくことはできなくとも、亀の歩みにうさぎが合わせることは物理的に可能なのだ。

無理に合わせろなんて言わない。君みたいに早く動けないんだから、寛容なお心を。その一心なのだ。

 

標準的なペースが存在するのであれば、恐らくこの問題は解決するだろう。

しかし残念なことに標準的ペースを算出するには、全国民の各同世代の男女別で、食事の早さや歩くスピード、机の上に教科書を広げる早さなど、様々な行動時間を計測して平均化させる必要がある。

そんな労力を費やすくらいなら、マンションの広告に書かれている色んな間取りに家具の位置を書き込み、レイアウトをのんびり妄想している方がよほど生産的である。

 

誰もが辛い思いをせず、且つマイペースなどと誰も中傷されない方法とは何か。

それは、のんびりした人にはせっかちな人に、せっかちな人はのんびりした人に、お互い少しずつ歩み寄ることである。

 

繰り返しになるが

【自分のペース=マイペース】

であるならば、自分のペースを相手に強要し合うのではなく、分かち合えばよい。

のんびりした人もマイペース、普通の人もマイペース、せっかちな人もマイペースだ。

 

「私はマイペースな人間だ」なんていう冒頭の説明すら滑稽だ。

「私は人間だ」と言っているような、至極当たり前なことになってしまう。

そうなると、もはや「マイペース」という言葉は不要だ。

中傷されることもなくなる。

世の中が平和になる。

なんてハッピーなんだろう!

 

ただ、それが最初から人類みな分かっていれば、相手のペースに乱されるなんて気苦労もなく「マイペース」なんて馬鹿げた単語も生まれなかっただろう。

人類はもとより、時間という固定的かつ流動的な概念の中で生活をしている以上、やはりペースは重要な問題なのかもしれない。

そう思うと、思考を巡らせてPCを立ち上げ、ひたすらに文字を打ち込んだこの時間というのは、長いようで短い人生の中でとても無駄な時間に思えてきた。

 

仕方ない。

夢のような4LDKの間取りが描かれた広告に、持ってもいないような家具を書き込んで妄想でもしよう。

 

そんな時間あるなら勉強でもしろって?

いや、私は「マイペース」ですから。