あだ名に関する考察
子供の頃にふとした拍子に付けられたあだ名が、大人になっても定着しているケースがある。
例えば「松本さん」なら「まっちゃん」、「山根さん」なら「やまちゃん」など、名前の一部をもじったあだ名であれば、定着率は非常に高い。
定着率は「呼びやすいかどうか」で変わってくると思っていいだろう。
呼びやすさとは何か。それは語感の良さと言い換えてもよいのではないだろうか。
「松本さん」に「まつほん」というあだ名を付けるとしよう。
まっちゃんとまつほんを比較した時、どちらが呼びやすいか。
同じクラスに松本さんが二人いた場合、「両方まっちゃんになるから、一人をまつほんさんにしよう」と誰かが言い出したところで、大方一ヵ月も持つまい。
名前をもじったあだ名は、語感の良さと同時に付けやすさも得られる。
身体的特徴や性別問わず、相手を傷つけることなく気軽に付けられて呼びやすい。
従って、名前もじりのあだ名は多く存在するのだろう。
一方で、名前に全く関係のないあだ名を付けられるケースもある。
かく言う私も、周囲には見知らぬ外人の名で呼ばれている。
きっかけは、カラコンを付けていたこと。ただそれだけだ。
他にも、物知りのため「ハカセ」と呼ばれる人や遅刻ばかりするので「シャチョー(重役出勤)」と呼ばれる人、最近だとラグビーをしているだけで「ゴロー」と呼ばれたりする人もいるだろう。
本名には全く関係ないはずなのに、何かのきっかけであだ名にされ、いつの間にか他のグループ、社会に出ても同じあだ名で呼ばれる人達。
これも共通点は「語感の良さ」にあると考える。
では逆に定着率の低いあだ名は何か。
答えは「語感の悪さ」だ。
小学生を思い浮かべてほしい。
仮に学校でウンコを漏らした子がいるとしよう。
その子のあだ名は「うんこ大王」に決定してしまった。
これ以上に不名誉なことはない。
教室では即席のうんこ大王の歌が響き渡る。クラスのマドンナにも笑顔でうんこ大王と呼ばれてしまった。辛い。学校に行きたくない。
でも安心してほしい。このあだ名が続くのは、小学生のしつこさからしても一ヶ月持つか持たないかだ。
理由は何か?
「呼びにくいから」だ。
再びその名が浮上するのは、せいぜい二十年後の同窓会で偶然覚えているやつがふと話題に出して、飲みの席でいじられる時くらいだ。
その時、隣で笑っている元マドンナは今の奥さん…なんて綺麗な話は無いだろうが。
ここで注意したいのが、うんこ大王を語感の良い呼び方に変形させられていたら、事の重大さが一変してしまう。
そう、「ウンダイ」などと変えられてしまうと、もう一生モノだ。
高校に入って「お前何て呼ばれてたの?」と聞かれ、偶然同じ小学校から上がってきた奴が同じクラスだったらもう最後だ。
理由は語られずとも、その小気味のいい響きに周囲は好んでウンダイと呼ぶだろう。
社会人になり、めでたく知り合いが一人も居ない環境に馴染めた時には、既に彼の中にはウンダイが定着してしまっているだろう。
永遠に解くことの出来ない呪いの名前の完成だ。
あだ名というものには、親から授かった大切な名前とは異なり、後天的にその人の性格や人生を左右する力がある。
小学生の皆様には、語感が良く、且つ人を傷つけることのない愛着のあるあだ名を是非考えて頂きたい。
【結論】
「まつほん」は一ヶ月後に「まつもっさん」になっている。